そして、石は
ひつじになる。
そして、石はひつじになる。

夜明けの平尾台へ朝駆け

まだ夜の濃い青が残る朝4時。 下界の蒸し暑さが嘘のように、山間の等覚寺にはひんやりとした涼しい風が吹き抜けています。暗闇の中、ヘッドライトの光を頼りに一歩一歩、山を踏みしめて登っていく。 ふと視界が開けた場所で足を止めると、眼下には静かに横たわる周防灘が広がっていました。

夜明け前に集合。ヘッドライトを頼りに山を登りはじめる。
尾根まで登ると、空が明るくなってきた。
周防灘の海からご来光を拝む。空が海に反射して境界線がゆるむ。

水平線の彼方から、空と海が燃えるような赤色に染まっていきます。広がる雲の影が、まるで一枚の絵画のように空を描き出し、輝きに思わず息をのむ。山を登るにつれて、視界の先には小倉の街並みが姿を現し始めます。太陽の光が街の暮らしを照らし、世界をゆっくりと覚ましていく。

北九州の街を望むことができる。
河原撫子(カワラナデシコ)平尾台で8月に咲く花。
ピンク色が目印のゆかりさん。歩きながらアテンドしてくれる。
朝駆けイベントはタケさんを中心にボランティアのみんなが楽しむ企画をしている。
鬼の空手岩からの眺め。洞窟や大きな岩登りまで、アミューズメントに富んでいるが、誰でも歩けるルート。
平尾台トレイルランニングレースのスタッフさんが多く、帰りは等覚寺まで走って下山する人も。
青龍窟でブロッケン現象に出会った。洞窟から流れる冷気が太陽の光と混ざり合って神秘的だった。

青龍窟のひんやりとした洞窟の気配を感じ、ゴツゴツとした鬼の空手岩を越えていく。 歩く人もいれば、走る人もいる。自分のペースで山と向き合う「朝駆け」。

平尾台の自然と深く重なり合う時間から戻ってくると、朝陽を浴びて青々と光る等覚寺の棚田が私たちを迎えてくれました。

手探りからはじまった稲作

山を味わった後は、山からの恵みの話。

ゆかりさんが棚田を始めたのは10年以上前のことでした。機械も知識も、何も持たない「ゼロ」からのスタート。 農薬に頼らずにお米を育てる道は決して平坦ではなく、最初は水の引き方ひとつ分からず、次の日には田んぼの水が空っぽになって悔しさに涙を流したこともあったといいます。

小さな面積の水田が階段上に作られた棚田。収穫したものを販売しても、元は取れないという。
田んぼの雑草として扱われるヒエ。米と見分けるのが難しいと言われている。

等覚寺周辺は、花崗岩と石灰岩が複雑に交わる独特な山地です。平尾台の山々からは水が川となって流れ出ていますが、高低差のある棚田へ引いて溜めるのは容易ではありません。石積みの隙間から水は逃げやすく、水路のわずかな狂いで水の流れが変わってしまうからです。

それは単なる水路の整備ではなく、山の気配を自身の身体に染み込ませていくような日々でした。雨のたびに水路へ流れ込む土砂や落ち葉を泥まみれで掻き出し、途切れたパイプを繋ぎ直す。どこから水が湧き、どう大地を伝っていくのか。山の脈動に耳を澄ませながら、棚田へと届く「道」をひとつずつ手探りで探してきました。

炎天下の中、手作業で雑草取り。

7月末のこの時期、棚田で行うのは「ヒエ刈り」の作業です。 傾斜のある狭い棚田では大型の機械は使えず、手で持てる小さな道具と自分の身体が頼り。青々と茂る葉の中から、お米と区別がつかないヒエを観察し、手作業でひとつずつ摘み取っていきます。

食とばあちゃんたちの風景を紡ぐ

汗をしっかりかいた昼下がり、山風が吹き抜ける木造の小屋にみんなが集まります。テーブルの上に並べられたのは、特製の冷や汁。 採れたての大葉やミョウガなど、山の薬味がたっぷり乗った冷涼なスープを、みんなで握った大きなおにぎりと一緒にいただきます。自分の足で山を歩き、誰かのために体を動かし、山の恵みをみんなで分け合って食べる。 「同じ釜の飯を食う」という素朴で、けれど何よりも贅沢な時間。

汗をかいた後は、みんなで米を握る。冷や汁と等覚寺の漬物と山菜。
山に実った夏ミョウガと秋ミョウガを採取。薬味に使う。

ゆかりさんは「ここで生まれ育った90代のおばあちゃんたちが、この景色を見ている間は絶対にやめない」といいます。
かつては、1人でやるのはもう限界かもしれない、と抱え込んだ時期もありました。けれどSNSを通じて助けを求めたとき、一人、また一人と素敵な仲間たちが集まってくるようになり、今では朝駆けで汗を流したボランティアのみんなが、棚田の手伝いに共に汗を流しています。

昔からこの村の人々が繋いできた美しい棚田の風景と、平尾台から流れる清らかな水。

ゆかりさんが守り、育て、そして新しい仲間たちと共に紡いでいく等覚寺の時間は、

これからも優しく、たくましく未来へ続いていくのでしょう。

等覚寺のテラスから、ボランティアの皆さんたちが見送ってくれた。

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