ここは、平尾台自然観察センターから徒歩10分。
ガイドさんと歩く、湿気を帯びた森、落葉が重なった道。
彼らの目線を借りたら、今まで見えていなかったものが、少しずつ、見えてきた。
森の赤ちゃん
集落を抜け、平尾神社を越えると、森の緑がぐっと濃くなる。
早朝に降った雨のせいだろうか、ひんやりとした空気が、あたりを静かに満たしていた。
平尾台自然観察センターが主催する、ガイド研修のためのツアーに同行させてもらった。
自然観察員の岩本さんと、数名のボランティアガイドの方々が、コースや植物を確認しながら、ゆっくりと森を歩いていく。
すると早速、岩本さんが何かを見つけたようだ。
「ほらほら、ここ!いますよ。」
指さす先は、湿った落ち葉の上。
目を細めて、地面にぐっと顔を近づけてみる。どこだろう? 私の目には、茶色い落ち葉の絨毯しか見えない。
時間をかけて、じっと見つめる。…あ、いた!
土のベッドから、にょきっと顔を出した、小さな小さなキノコ。
つぶらな傘には、まだ土のかけらが残っている。生まれたばかりの、赤ちゃんキノコだ。
いつものように、ただ歩いていただけなら、きっと気づかずに踏んでいたに違いない。


後ろを振り返ると、ボランティアガイドの方も、屈んで落ち葉を見つめている。
今度こそはと駆け寄ると、少し目が慣れたのか、すぐにそれを見つけることができた。
落ち葉に半分埋もれた、繊細なキノコ「ヒトヨタケ」。
その姿を壊さないように、そっと、丁寧に、周りの落ち葉をかきわける。
(キノコからしたら、いい迷惑かもしれない。やっと地上に顔を出したのに、巨大な何かに覗きこまれているのだから)
けれど、好奇心に火がついた私は、もう前のめりだ。どんな色? どんな形? 名前の由来は? 気になって仕方がない。
そんな時、岩本さんがさっと取り出したのは、小さな鏡だった。
キノコにそっと近づけると、地面に這いつくばることなく、傘の裏側の美しいヒダ(胞子をつくる場所)まで、はっきりと見ることができる。なんて画期的な観察道具だろう。
「ライトで照らすと見つけやすいし、虫眼鏡だともっと面白い世界が見えますよ」と、岩本さんが教えてくれる。
ミクロなキノコを観察するには、私たち自身の視点も、ミクロに変える必要があるのだ。




森の掃除屋さん、菌類とは?
ここで、キノコの不思議な生態に迫ってみよう。
彼らは何を食べて大きくなり、どうやって仲間を増やしていくのだろう?
岩本さんの話によると、キノコは、その暮らし方によって、大きく三つのタイプに分けられるという。
一つ目は「腐生菌(ふせいきん)」。スーパーに並ぶシメジやキクラゲのように、倒木や落ち葉といった、他の生物の“遺体”を分解して栄養にする、森の掃除屋さん。
二つ目は「寄生菌(きせいきん)」。生きた昆虫や植物に取り付いて、そこから栄養をもらうタイプ。自然界で特定の生物が増えすぎるのを抑え、バランスを保つ役割があると考えられている。
そして三つ目が「菌根菌(きんこんきん)」。マツタケのように、生きた木の根と共生するタイプ。土の中の栄養を木に与える代わりに、木が光合成でつくった栄養をもらって生きている。
「もし、彼らがいなければ、森はゴミだらけになってしまいますよ」と岩本さんは言う。
どういうことだろう?



その答えは、足元の落ち葉の絨毯にあった。
よく見ると、茶色い葉に、白い綿のようなものがついている。菌糸(きんし)だ。
目に見えない微生物たちが、この菌糸を伸ばし、落ち葉を少しずつ分解して、植物が吸収しやすい栄養(無機物)に変えているのだという。この菌糸から、やがてキノコが生まれることもある。
完全に分解された落ち葉は、「腐葉土」という、黒くてふかふかの土になる。この土が、森の木々を育て、豊かな生態系を支えている。
菌類は、「分解者」として、森の命を繋ぐ、なくてはならない存在なのだ。


行きと帰りで、世界は変わる
普通に歩けば20分で通り抜けてしまう道を、私たちは、約2時間かけて、ゆっくりと歩いた。
ほんの少し目線を変え、時間をかけるだけで、足元には、こんなにも不思議で、美しい世界が広がっていたのだ。
「行きと帰りで、目線が変わるんですよ」
岩本さんは、楽しそうにそう笑った。
その言葉通り、帰り道の私には、もう、ただの「落ち葉の絨毯」には見えなかった。
そこは、無数の生命が生まれ、死に、そして繋がり合う、豊かで、少しだけ騒がしい「森」だった。
ぜひ、あなたも平尾台の森で、小さな生き物を探してみてほしい。
きっと、これまで見ていた世界が、ちょっとだけ、違って見えるはずだから。
焦らず、ゆっくり、時間をかけて。
