
靴を脱ぎ、大地に触れる。
足の裏が、山の呼吸を受け取ると、
こわばっていた身体がゆるみ、
足もとからあたたかな熱が立ちのぼる。
裸足で山を歩く体験

集合場所の見晴らし台に到着すると、和田さんは自然な動作でサンダルを脱ぎ、そのまま裸足になりました。そこにあったのは、特別に鍛え抜かれた足でも、圧倒的に分厚い皮膚でもなく、小麦色の普通の足。「皮膚は少し分厚いかもしれませんが、特別な足ではないですよ。」そう言いながら、足は迷いなく大地に踏み出していきました。
平尾台の道は平坦な道ではありません。小さな石も転がっているので、踏み出すたびに足裏に刺激が走ることも。凹凸に富んだ地面を裸足で歩くと、足の裏がスパイシー。参加者の中には裸足で歩くことに慣れている人もおり、風神の祠へ向かって軽やかに進んでいく姿も見られました。どうしてそんなに裸足で歩けるのでしょう?





コツとして伝えられたのは、姿勢を正し、前を見て歩くこと。そして、「痛い」と構えすぎず、楽しむ気持ちで向き合うことでした。最初は痛みを感じることもありますが、続けていくと感覚が変わっていくと言います。足裏の地面を捉える感覚が深まり、歩くことそのものに意識が向いていきます。
裸足で歩くことによって、身体の不調が減り、歩く時間が楽しくなり、日常にも変化が生まれる。大地に触れる行為が、身体感覚を呼び覚ますひとつの方法であるそうです。
一方で、裸足で歩くことに対して「危ないのではないか」という声があるのも事実です。意図的に道を作るために蒔かれた砕石は鋭利で痛いことがあります。長い年月によって角がとれると石は痛みがすくなくなる。視覚的な不安と、実際の危険性には差があるそうです。また、慣れてくると無意識に避けることができるようになります。
人間本来の自然な歩き方

きっかけとなったのは、坂田満氏が開発したマンサンダル。「サンダルという名の裸足」とも呼ばれるこの履物は、人間本来の自然な歩き方でなければ履きこなせない、奥の深いサンダルです。裸足ランの仲間から紹介されたことをきっかけに、その魅力に惹かれ、九州での愛好者を増やすために、マンサンダルの公認インストラクターを招いた5日間のワークショップツアーが企画されました。45名が参加し、その感謝の場として開催されたのが 第1回「平尾台で裸足 & ランチ懇親会」。
場所として選ばれたのが、ひつじcafé HIRAODAIでした。この出会いをきっかけに、イベントは月1回のペースで継続され、24回目(2025年11月)を迎えるまでになりました。



なぜ、裸足で歩くのか。現代の生活環境は、舗装路とコンクリートに囲まれ、足が大地と直接触れる機会はほとんど失われています。靴や靴下に守られた足は、動かない時間が増え、本来の機能を十分に発揮できない状態に置かれていると和田さんは言います。
歩行の土台となる「足」。 身体感覚への意識が、いつの間にか薄れてしまっている現代です。弱くなった足は、身体を支える役割を果たせず、不調や歪みの原因になることも。そうした現代の歩き方への問いから、「裸足で大地と直接つながる時間」を届けたいという想いが生まれました。
裸足で歩くことで、足指や筋肉、足裏のセンサーが目覚めはじめ、情報が全身へと伝わっていきます。動きは自然になり、姿勢も変化し、感覚への意識が高まっていく。心と身体がゆるみ、ストレスがほどけていく感覚もそこにあります。
靴に頼った歩き方は、どうしても雑になりがちですが、裸足で歩くと自然と丁寧な歩きになります。大地を傷つけない、やさしい足運びへと変わっていくのです。




大切にしている合言葉は
「頑張らない、ゆっくり、やさしく」。
平尾台を歩く時間は、競争ではなく、自分の感覚にそっと耳を澄ませるためのひとときです。裸足で歩くことが、平尾台の風景と出会う静かな入口となり、その延長にある日常へと、緩やかにつながっていきます。場所に意味を与えようとするのではなく、ただ好きな場所を、素直に歩く。
裸足で歩く時間は、ただそこにあり、今日もまた重なっていきます。